遺族が悔やみきれない 熊谷6人殺害事件での埼玉県警による失態 – livedoor

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 その日、彼は最愛の妻子を一度に失った。犯人は全く面識のない外国籍の男。決して癒えることのない痛みと、やり場のない怒りに向き合った日々に迫る。

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 ここ最近、「加藤さん」(44)は自転車で遠出する機会が増えたという。

 きっかけは彼の妻が誕生日プレゼントに買ってくれたロードレーサーだ。ハンドルの付け根には、遊園地の観覧車に乗って笑顔を見せる妻子の写真が取りつけられている。

「この自転車で色んなところを回りました。往復170キロくらいかけてディズニーランドまで行ったこともあります。娘たちに“行ってみたい!”とせがまれていたので。気持ちとしては一緒に連れて行ってる感じなんですけどね。自転車を通じて知り合いも増え、今年は地元のロードレース大会にも出場しました。ええ、やっぱり風を切って走る時は楽しいですよ。でも、正直なところよく分からないんです。自分がいま何を考えて、どう行動するのが正しいのか。正解なんて見つからないのかもしれませんが」

仏壇に並ぶ3人の笑顔

 自宅で取材に応じた彼はそう語る。

 視線の先には、リビングとキッチンを隔てる白い壁に貼られたカレンダーがあった。赤いボールペンで細かく予定が書きこまれたカレンダーは、よく見れば「2015年9月」のままだ。

 そう、あの事件の発生からまもなく2年が経とうとしている。

 埼玉県熊谷市内の長閑な住宅街が、悪夢のような惨劇に見舞われたのは一昨年9月のことだ。

記事が掲載されている「新潮45」10月号

 同月14日に田崎稔さん(55=当時=、以下同)・美佐枝さん(53)夫妻の刺殺体が見つかったのを皮切りに、2日後の16日には白石和代さん(84)、さらに、加藤美和子さん(41)と長女の美咲ちゃん(10)、次女の春花ちゃん(7)が変わり果てた姿で発見された。

 立て続けに6人もの命を奪い去ったのは、ペルー国籍のナカダ・ハデナ・バイロン・ジョナタン被告(32)だった。

 冒頭の加藤さんは、妻と小学生の娘2人を一度に失った遺族である。

 彼は事件からの日々をこう振り返る。

「長いと言えば長かったですが、むしろ時間が止まってしまったような感覚でしょうか。事件からの2年間、生きているという実感がわかない。そういう日々がずっと続いているんです」

 風を切って走るロードレーサーの車輪とは違い、止まってしまった時間はまだ回り始めてはいない。

 加藤さんの妻子が命を落とした「現場」は、彼が事件の2年前に建てたばかりのマイホームだった。

「10年間ありがとう」

「事件が起きてから1ヵ月くらいは、この家を手放すしかないな、と考えていました。30年ローンを組んで購入したばかりでしたが、何しろ、ここで妻と娘たちが亡くなったので……。インターネット上でも“事故物件”として取り上げられました。その頃はまだ規制線が張られたままで、家に近づくこともできませんでしたけどね」

 いかに買ったばかりとはいえ、加藤さんが自宅の売却を考えるのはむしろ自然だろう。ところが、

「時間が経つにつれて、何と言うのか、自宅まで手放したらもっと後悔するんじゃないか、そう考えるようになったんです。事件後は近所にある実家で暮らしているんですが、一周忌を終えた去年の10月頃から昼間だけこの家で過ごすようになりました。とはいえ、遺品を整理しようとしても、なかなか気持ちがついていかない。むしろ、この家にいると、まだ家族が生きているんじゃないかと思ってしまう。娘たちが玄関のドアを開けて、“パパー”と言いながら帰ってくるんじゃないか、と」

 いま、4LDK・2階建ての自宅に事件の痕跡は一切見当たらない。

 2階部分には家族が布団を敷いて川の字で寝ていたという寝室と、子供たちの部屋がある。そもそも、加藤さんが新居を建てたのは、春花ちゃんが小学校に入学するのを機に、姉妹それぞれに部屋を与えたいと考えたからだった。

 美咲ちゃんの部屋には、クマのプーさんやキティちゃんのぬいぐるみが並び、テーブルには「アナと雪の女王」が表紙のノート、そして、本棚の上には妹とお揃いのピンク色をしたランドセルと、黄色い通学帽が2つずつ置かれていた。

 事件後、全てのクロスを張り替え、業者が徹底的にクリーニングし、いまは加藤さんがこまめに掃除をしているという自宅は、明るく清潔な印象で、事件現場を思わせる張り詰めた空気は全く感じられなかった。

 だが、事件前の温かい家族の暮らしがそのまま保存されているがゆえに、ひとたび家族の不在という現実が頭を過ると、やりきれない感情にとらわれてしまうのだろう。

 この家で見つかった遺品のなかには、10歳の誕生日を迎えた美咲ちゃんが、美和子さんに送った手紙もあった。

〈お母さんへ

10年間育ててくれてありがとう。わたしは、10年間育ててくれたことを感しゃしています。おいしい料理を作ってくれてありがとう。それで毎日、元気に登校できるよ。よごれた服をきれいにあらってくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。

4年2組 加藤美咲〉

 母親に向けて何度となく「ありがとう」と綴った娘も、手紙を読んで顔をほころばせたであろう妻も、もうこの家に戻ることはない。

 一方、凶行を繰り返した末、この家に籠城したナカダは、埼玉県警の捜査員に包囲されるや、子供たちの部屋へと通じる階段の出窓から自殺を図って身を投げた。左手に包丁を握り、右手で大きく十字を切りながら――。

 転落の衝撃で頭蓋骨を骨折する重傷を負ったナカダは一時、生死の境をさまようが、1週間後に意識を取り戻す。

 埼玉県警は3戸の被害者宅に残されたDNA型が本人と一致したとして、ナカダを強盗殺人などの容疑で逮捕。さらに、鑑定留置の結果、責任能力が認められると判断され、さいたま地検は昨年5月20日にナカダを起訴している。

 弁護側が依頼した精神鑑定の結果を待って、来年早々にも初公判が開かれる予定だ。

 加藤さんはナカダに極刑を望むとしながらも、

「死刑判決を下してもらうことだけが全てではありません。そうではなく、私は真実が知りたいんです。検察官が証拠を揃えて求刑する、それを受けて裁判官が判決を下すというのは、私などからすると、彼らが普段通りの仕事をこなしているようにしか思えません。でも、私にとって妻子は何ものにも代えられない、本当に大切な存在でした。ですから、事件の真相を明らかにして、なぜ私の妻や子供たちが命を落とさなければならなかったのか、その理由をきちんと知りたい。そうでなければ裁判を開いたところで、死刑判決が下されたところで何の意味もないと思っています。たとえ、どんなにひどい話であっても真実を知りたい。もちろん、犯人のことは今でもこの手でぶん殴ってやりたいですよ。でも、それ以上に真実をありのまま話してほしい。私も被害者参加制度を使って直接、彼に語りかけたいと考えています」

 憎むべき凶悪犯が極刑に処されたとしても、それによって全てが贖われるわけではない。遺族の偽らざる心境であろう。

 事実、この2年間、遺族は事件によって壮絶な日々を強いられてきた。

 加藤さんの母親、つまり、美咲ちゃんと春花ちゃんを可愛がった「おばあちゃん」は脳梗塞で倒れて入院し、いまもリハビリ生活を続けている。もともと血圧が高かったことに加え、事件直後にマスコミが殺到し、矢継ぎ早に飛ぶ質問に答えているうち呂律が回らなくなったという。その年末には「おじいちゃん」が、さらに、年明けには加藤さんの兄もストレスから体調を崩し、入院を余儀なくされた。

 3人の未来を奪った凄惨な事件は、残された家族から平穏な暮らしをも奪い去っていた。

 さらに、悲痛な胸の内を吐露した加藤さんが、もうひとつ「悔やんでも悔やみきれない」と語ることがあった。

 それは捜査に当たった埼玉県警による「失態」の連続だ。

卒業証書

 群馬県伊勢崎市の惣菜工場に勤務していたナカダが、熊谷市に姿を現したのは一昨年の9月13日午後。民家の敷地に座り込み、「カネ、カネ」、「ケイサツヲヨンデ」などと住民に片言の日本語で話しかけた。まもなく、所轄の警察署に110番通報が寄せられる。

 問題はここからだ。

 ナカダは熊谷署に連行されて事情を聴かれたが、彼の求めに応じて署の玄関先でタバコを吸わせていたところ、猛然と逃亡を図ったのだ。追いかけた捜査員も信号を無視して突っ走るナカダに振り切られてしまう。

 この時、ナカダのパスポートや財布は署に残されていた。県警は警察犬まで投入して行方を追ったが、その際、臭いが途切れたのは加藤さん宅のわずか3軒隣だった。そして、翌14日、最初の犠牲者が出てしまう。

 田崎さん夫妻が殺害された自宅の壁には、血文字で意味不明のアルファベットが書き殴られていた。捜査員が駆けつけた時、すでにナカダの姿はなかった。

 加藤さんが言うには、

「田崎さんご夫妻が亡くなる前日に、身分証もお金も持たずに不審な外国人が警察署から逃亡している。その上、田崎さんの自宅には外国語の文字が残されていた。捜査員の誰もが、その外国人が怪しいと感じたはずです。しかし、県警は犯人が逃走していることを広く住民に知らせて、注意を促そうとしなかった。防災無線でも、拡声器を使ってパトカーで回ってもいいから、その時点で周知していれば状況は間違いなく変わっていたと思います。この辺りは誰もが顔見知りなので、日中は戸締りをしていないお宅も多い。一方で、不審な外国人が逃亡していることを知らせれば、すぐに情報が集まったと思います。どう考えても県警の対応には疑問が残るんです」

 実は、ナカダが田崎さん宅を襲う直前、埼玉県警はある事件に頭を抱えていた。

 朝霞市内に住むひとり暮らしの男性が自宅で絞殺され、9月12日に殺人と住居侵入の容疑で逮捕されたのは、県警本部の捜査1課にも配属された経験のある30代の巡査部長だった。

 県警本部長は逮捕当日に会見を開き、以下のように謝罪している。

〈本県の警察官が重大な犯罪で逮捕されたことは痛恨の極みで、被害者ご遺族、関係者の皆さまに深くお詫び申し上げます。事件を重く受け止め、事実関係を踏まえて厳正に対処します〉

 ナカダが熊谷署から逃走し、行方を晦ませたのはその翌日である。

「県警幹部を呼び出して問い詰めたことがあります。“不祥事が続くと警察の恥になる。だから、ナカダを逃がしたことを隠していたんじゃないか”と。それには“そんなことは断じてありません、信じてください”と釈明していましたが、では、どうして犯人が逃走していることを近隣住民に知らせなかったのか。その理由を問うと、彼はこう答えました。“捜査に夢中で忘れていた。ここまでの事件に発展するとは思わなかった……”。言葉を失いましたよ。捜査の目的が新たな犠牲者を生まないことにあるのなら、一刻も早く住民に情報を伝えるべきだったと思います」

 田崎さん夫妻が殺害されてからも、ほとんどの住民は殺人鬼が街を徘徊していることなど知る由もなかった。つまり、誰もが次の犠牲者になり得る状態だった。県警がどう言い訳をしようと、その点だけは紛れもない事実だ。

 無論、遺族にとって最も憎むべき相手は犯人である。

 だが、片言の日本語しか喋れない外国籍の犯人は、転落の影響で意識不明の重体に陥り、一時は責任能力の認定まで危ぶまれた。いまもって何を考えているのかさえ判然としない犯人に、遺族がやり場のない感情を抱え続けてきたことは言うまでもない。結果的に被害の拡大を食い止められなかった県警が責められても仕方のないことだろう。

 愛する者を一瞬にして奪われた事件から2年間、遺族が否応なく背負わされた苦しみは察するに余りある。

 しかし、加藤さんはこう続けるのだ。

「事件で悔しい思いをしているのは私たち遺族だけではないんです。美咲と春花が通っていた小学校の校長先生も心残りがあるんだと思う。県警から学校に情報が寄せられていれば、子供たちを帰宅させずに校内に留めさせたかもしれない。そういう後悔があるんじゃないか。運動会の時も、校長先生は友達の姿がよく見える場所に娘たち2人の遺影を置いてくれました」

 ***

 事件当時10歳だった美咲ちゃんは、本来であれば今年の春に卒業する予定だった。加藤さんから相談を受けた校長は、教育委員会に掛け合って美咲ちゃんのために卒業証書を作ってくれたという。

 その卒業証書はいま、彼女が通学に使ったピンク色のランドセルに立てかけられている。

新潮45取材班

「新潮45」2017年10月号 掲載





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