時代の正体〈599〉傾聴する姿勢、欠如の末 – カナロコ(神奈川新聞)

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【時代の正体取材班=田崎 基】安倍晋三首相が言及した改憲項目に「緊急事態条項」の創設がある。憲法学者の南野森・九州大教授は「現行憲法の規定で全く困らない」と断言する。既に憲法上には緊急事態を想定した条項があり、かつ法整備も進んでいるのがその理由だ。足りないのならまずは法改正を進めるべき-。それにもかかわらず「改憲」を掲げる姿勢に、「改憲」それ自体が目的化した倒錯が透けて見える。

 大規模災害と衆院議員の任期満了が重なることを懸念しているようだが、憲法には「参議院の緊急集会」が定められている。法律でも緊急事態に対応する制度は災害対策関連が整えられている。

 こうした制度になっているのは、緊急事態が起きたとき行政権に権力を集中させるとかえって暴走の危険があると憲法が想定しているからだ。そのために参院議員の英知で乗り切るという発想を取っているのであって、そのことには問題がない。

 それ以前に、そもそも想定している事態に飛躍があるのではないか。つまり衆院選の最中、あるいはその直前に、日本の全域が甚大な被害を受けるような大規模災害が発生することを想定して「改憲しなければならない」と言っている。それはちょっと現実離れしているのではないか。

 裏にある狙いとして「緊急事態条項を入れたい」がために議論を持ち出しているような気がしてならない。こうした議論がまかり通るとなれば、仮に未確認飛行物体(UFO)が攻めてきたときどうするか、そのために改憲は必要か、などと言うのと似たようなもので具体性を欠く空論のようだ。

 そのような自然災害の被害は想定しがたく、過去にも例がない。大規模災害は起きるにしても基本的には部分的に被害を受ける。対応は公職選挙法の規定を整えれば乗り切れるはずだ。

 自民党の条文案は大規模災害だけを想定しているが、他国からの武力攻撃を想定するとなると話は違ってくるかもしれない。仮に日本が東西南北から一斉に攻められるとなれば、確かに選挙どころではないということになるだろう。

 しかしそのような状況に陥っているとしたら、もはやどうしようもない状況であって、憲法を含む法の支配、国家自体が吹き飛びかねない状況ではないか。そのような状況まで想定して憲法に漏れのないように規定することは、不可能ではないにせよ、相当な困難を伴う。そして、その規定を悪用する政権が将来現れたときのことを考えると、この論点もまた、今ある法制度では対応できないのかどうか、法律改正では対応できないのかどうか、参議院の緊急集会制度では対応できないのかどうか、と順番に丁寧に考えていく必要がある。

 このように考えてみると、現在提案されている緊急事態条項の議論は、やはり憲法の不備や、想定外の1カ所を何とかして見つけ出し、是が非でも憲法改正に持っていきたいというだけの話に思えてならない。

 法というものは完全に全てのことを想定することはできない。現実には想定外の事態が起きる。そのとき人類は歴史的に超法規的措置をとって乗り越えてきた。しかし一方でそれを簡単に認めるわけにはいかない。緊急事態条項はこうした緊張関係の中にある。

 そしてその定め方次第では権力者による濫用(らんよう)の危険性が付きまとう。戦後でも、例えば1960年代のフランスでドゴール大統領が濫用した事例がある。

 本当に緊急事態条項を憲法に盛り込むのであれば、多分野の専門家から幅広く意見を聞き入れた上で、時間をかけた慎重な議論が欠かせない。

 自民党による条文案では「緊急事態」を自然災害に限定し、私権の制限や議員の任期延長が盛り込まれている。

 この「任期の延長」も要注意である。「延長は1回しかできない」とか「2週間を限度とする」など時間的回数的な制約を付けなければ危険だ。何度も何度も延長を繰り返すことができる仕組みだと、まさにドゴール大統領が非常措置権というフランス憲法16条を行使し続けたことと同じことが起きかねない。これは大統領が「緊急事態は終わり」と言うまで誰も収束させられない制度だった。このためフランスでは憲法が改正された。

 仮に緊急事態条項を憲法に加えるなら、緊急事態とは何か、誰が認定するのか、その効果についても含めて憲法に明記する必要があるだろう。

 安倍政権の憲法改正の姿勢を見ると、どうも首をかしげてしまう。話の順序が倒錯しているのは改憲だけではない。

 北朝鮮情勢などを巧みに利用しているのも気味悪く感じる。地上に配備するミサイル防衛システム「イージス・アショア」もそうだ。本当に必要なのだろうか。しかも「言い値」で米国から買うことになる。米国の軍事産業はぬれ手で粟(あわ)だろう。これまで、そうした新装備を備えなくても現状の防衛システムで大丈夫だということで日本海側に原子力発電所もたくさん造ってきたはずだ。それを急に変更し、その上、安倍首相はキャッチフレーズで「この国を守り抜く」などと感情をあおるような言い方をする。

 言うのは勝手だが、全てが逆行していないだろうか。「この国を守り抜く」と言っている人の政策がむしろこの国を危機に陥れていることはないだろうか。

 「この国を取り戻す」とも言っていたが、いったい何を取り戻すのか。戦後日本が日本国憲法の下で、曲がりなりにも平和国家として築き上げてきたブランドや伝統を結局捨てるだけで終わるのではないか。結局は米国の言いなりになっているだけではないか。

 「美しい国」という言葉もあった。私も海外各国を旅行し、日本ほど美しい国はそうそうない、と思うが、しかし安倍首相の言う「美しい国」はそれとは違うものなのかもしれない。

 日本を取り戻すにしても、この国を守り抜くにしても、すべて言葉のその響きとは別の、怪しい方向に進んでいる気がする。

 行き着くのは、「やはり何か嘘(うそ)をついているのではないか」という疑念だ。言葉と違うことをやろうとしているのではないか。9条改正についても「何も変わりません」と言いつつ、この国をとんでもない方向へと変貌させるのではないか。

 もしかすると安倍首相は腹蔵なく率直に発言しているのかもしれない。国民をだまそうとは思っていないのかもしれない。しかし自分の思い込みに対して、異なる見方や、違う結果を生む可能性があることに思いが至っていない。

 「美しい国をつくろう」というのも「美しい」などという主観的な評価であれば当然、「こうした政策をやると美しくない国になってしまう」との批判や反論があるはずで、そこに思慮深さは感じられない。

 9条改正、緊急事態条項の新設についても、安倍首相は正直に「何も変わらない」「緊急事態条項は必要だ」と思っているのかもしれない。しかし一度憲法に書いてしまうと、安倍首相の予期しなかったような自衛隊の軍事的暴走といったことが10年後20年後にあり得ないとは断言できない。

 そうしたことを憲法学者は危惧しているのであって、この意見には耳を傾けてもらいたい。

【連載】憲法学者・南野森さんに聞く
(上)安倍改憲「変わらない」という嘘:「9条と自衛隊」

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